ネムちゃんとケイゴとかモイちゃんとニコよかジキルとラブカちゃんとかだよ
「ここに最近出来たスケートリンクの無料チケットが二枚あります」
リビングで歓談中、おもむろにニコが二枚のチケットを取り出した。ぴら、とニコの手の中で揺れるチケットに、そこにいたケイゴとミハルの視線が集まる。
「ああ、それでモリヒトさんとデー……」
「わー!ちょ、ちょっと待って!!」
一番最初にニコの思惑を察したミハルが、いつも通り言葉をオブラートに包もうとせず喋りだし、慌てるニコを察した座ったケイゴが口を塞ぐ。
「オレがどうかしたか?」
飲み終わったマグカップを洗っていたモリヒトにはミハルの発言は届いていなかったらしく、かろうじて聞き取った己の名前に応えた。
「なっ、なんでもないのよ!モイちゃんは関係ないの!」
「……そうか」
名前まで出たのに関係ないと言われ、意外にもわかりやすくしゅんとしたモリヒトは、ソファに座りテレビを点けた。
「あ、あの、そうじゃなくて、えーっと……」
だん、と机に手をつき、しどろもどろに言葉を探す。
余計なことを言わないように、とミハルの口を押さえたまま、頑張れ、とケイゴは内心ニコを応援した。
「ニコ、スケートしたことないのよ!だから、モイちゃんに教えて欲しいな〜って思って……」
よく言ったニコ、と安堵してミハルの口から手を離す。
「ちょっとケイゴさん、手汗が酷いですよ。まったく……」
イラッとすることをひと言ふた言言われたような気がするが、ひとまず無視をして、とりあえずニコの動向を見守ることにする。
ふむ、と顎に手を当て、考え込んだモリヒトが口を開いた。
「それならオレよりケイゴの方がいいんじゃないか?経験者だし」
「えっ!?オレ!?」
急に話題を振られ、思わず大きな声が出た。
「ああ、オレも滑れるだろうが、実際に滑ったことはない。確実に滑れるようになるならその方がいいだろう」
「さすが、わかってないですね。ニコさんはモリヒトさんと……」
「わーっ!わーっ!」
モリヒトを除く三人が思ったことをミハルが口にしようとして、必死にニコが誤魔化す。
「…………」
誰か二人をデートさせるための理由を考えてくれ、とおのおの天を仰いだ。照明が眩しい。
「なんや、ワシ抜きで盛り上がってんなぁ」
「カンちゃん!」
バイトを終えて帰宅したカンシに、一斉に視線が向く。
「どないしたん?」
「ああ、ニコさんがモリヒトさんとデートしたいのに、あの人朴念仁だから……」
「ち、違うのよ!そうじゃなくて!」
カンシがミハルを見た。そこからニコ、ケイゴ、モリヒトと視線を移し、ゆっくりと深く頷く。
任せろ、と指でOKサインを作る。
「あんな〜モリヒト、今日バイト先のオッチャンにええもんもろてん!」
「そうか。近いな」
すっとモリヒトに擦り寄り、ぐっと肩を組んだ。頬がくっ付きそうになるのを片手で拒み、目を真っ黒にしてカンシと離れようとする。
「ちょっ、ちょお待って!なんやそれ傷付くわぁ」
「いや、お前がちょっと近過ぎるんだ」
すんとした態度で軽くカンシをあしらう。
「せっかくええもんやろうと思ったのに」
「……それはすまない」
大袈裟に落ち込んだ態度を見せれば、モリヒトも悪いと思ったのか、小さく謝った。
「わかればええんやで」
けろりと態度を変え、ごそごそとポケットに手を突っ込む。
「あーっ!それ!」
くしゃくしゃになったチケットを見つけたニコが大声を上げる。
「知っとるんか?最近出来たスケートリンクらしいで」
「知ってるも何も……」
「今、ちょうど二枚あるチケットでどうにかニコさんとモリヒトさんがデー」
「わーっ!わーっ!」
「今日のニコはいつにも増して元気だな」
手を振ってミハルの言葉を遮ると、モリヒトが小さく頷いた。
「これ期限が週末ですね」
「ワシ週末はバイトやねん」
「ボクもちょっと予定が……」
モリヒトとデートをしたいニコ、経験者のケイゴは決定として、最後の一人をどうするか。
「別に三人でもいいんじゃないか」
『それは困る』
ニコとケイゴの声がハモった。三人では都合が悪い。
しかし、残りの使い魔二人は生憎予定があるようで、どうしたものかとニコが顎に手を当てて考え込む。
「いいこと思いついたのよ!」
後は任せて、と胸を叩いた。
☆
「あの……なんで私が……」
屋内スケートリンクにはしゃぐニコを前に、ネムはポシェットのベルトをぎゅっと握り締めて呟く。
ニコからのラインは相変わらず意味がわからなくて、遊びに誘われたと気付くまでに少し時間が掛かった。
「来てくれて嬉しいのよ!」
テンション高く迎えるニコと、その隣で会釈するモリヒト。
ウルフとの約束は保留状態だが、指定された待ち合わせ場所にケイゴを見つけ、三日月グッズを持ってくれば良かったと後悔した。
「ああ、商店街の福引で入場券を当ててきたみたいで、それを理由にニコがモリヒトとデートしたかったんだけど、モリヒトってああだろ?」
「え、ええ……?」
「券が四枚あって、経験者ってことで俺がダシに使われて、あと一人はニコが誘うって言ってたらキミになったわけ」
ごめんね、とケイゴが眉を下げる。
「別に、そういうことなら……」
モリヒトに対するニコの想いは、先日初めて知った。そういう話はニコ以外としたことがないが、あの二人が少女漫画のように上手くいく筈はないということだけはわかる。
ケイゴがいるなら、悪い気はしないが、ドキドキと高鳴る鼓動を抑えられない。
「ネムちゃん、滑ったことある?」
ケイゴの問いに首を振った。スケートリンクばかりか、友達とこんな風に遊んだこともない。学校の友人はどちらかと言えばインドアだ。
「ってことは、オレ以外未経験か……」
「マイシューズとかあると思ったのよ」
「辞めて何年経ったと思ってんの。さすがに昔の靴は入らないよ」
入場券はあるが貸靴は別らしい。足のサイズを確認して、各々がスケートシューズを借りる。
「わっすごい紐。結ぶの難しそう」
「ああ、慣れれば大丈夫だよ。モリヒト、ニコの見てあげて」
「ああ」
「ひぇっ!?なんでモイちゃんが!?」
四人並んでベンチに座り、ニコの前に置いたスケートシューズを指さす。計画通りといえばその通りだが、予想しなかったケイゴの言葉にあわあわと手を振った。
「俺じゃ不満か」
「違うのよ!だってモイちゃんもスケートしたことないって言うから!」
「大丈夫だ。今日のために、スケートの歴史から基礎から全部調べてきた」
万一ニコが怪我でもしたら大変だからな、と黒い瞳を伏せる。ぼっとニコの顔が真っ赤になった。
口をぱくぱくと動かしながら、ケイゴとネムを見る。二人揃って首を振った。あれが全て無意識だと言うのだから、たちが悪い。
「……モリヒト君はいつもああなの?」
隣に座ったケイゴにこっそりと耳打ちする。固いスケートシューズは紐が長くて、何処に引っ掛けていいのかわからない。
「あー……まぁ、そうかなぁ。誰でも気付くのにね」
ニコに言われるまで気付かなかったのは黙っておいた。一度意識すれば、なるほどと思うことが多い。
「普通に立つだけでグラグラするのよ」
靴を履き替え、揃ってリンクに降りた。リンクサイドにしがみ付きながら、ぐらぐらと滑っていきそうな足を抑えた。
「さすが、モリヒトはこういうの出来るな」
「転ばないというだけなら出来る。ほら、ニコ」
「片手はこっち持ってていい?」
「ああ」
初めて、とは到底思えないスムーズさでモリヒトがニコの左手を取り、ゆっくりとリンクを滑る。
照れてはいるが、ニコの表情は嬉しそうだ。
(いいなぁ)
ふ、と溜め息を吐く。氷の上に一歩踏み出す勇気が持てないまま、ぎゅっと手すりを掴んだ。
「怖い?」
「えっ!?ううん、そんなこと」
床より一段低くなったリンクの上で、ケイゴがネムの目の前に立っていた。気付いたらニコとモリヒトは半周くらい先に進んで行ってしまったようで、初心者のネムを置いていけない、と待っていてくれたらしい。
「精神状態に左右されない分、慣れればフロウトより簡単だよ」
ほら、とケイゴが手を差し伸べる。当たり前のように自分の手より大きくて、どきん、と鼓動が跳ねた。
(やだっ、待って、まだ心の準備が……!)
不器用に柔らかな毛並みを撫でる、猫の体温より冷たい手のひらの感触を知っている。
「ネムちゃん?」
俯いたネムの表情を伺うように下から覗き込む。
「だっ、大丈夫だから!」
裏返った声で、勢いに任せてケイゴの手を取った。そっと優しく包み返され、煩い鼓動は自分の意思とは関係なく滑り転がる。
「わっ……」
勢いよく足を踏み出したせいで、氷の上で足がもつれてしまう。
「大丈夫?」
転ぶ、と思った瞬間は来なかった。ケイゴの手はしっかりとネムを掴み、転ばないように支えている。
「…………ええ」
真っ直ぐにケイゴの顔を見れない。さっきからずっと煩い心臓が口から飛び出してきそうだ。
(どうしよう……あっ)
「ニコたちは?」
誤魔化すには良い答えを見つけた。救済を求めて二人を探したが、生憎すぐには見つけられない。
「それなんだけどさ」
ケイゴがネムの手をリンクサイドに添える。手すりを頼りになんとか立ち止まれば、そっとケイゴが耳打ちした。
「あの二人、今結構良い感じなんだ。出来れば、はぐれたことにしてそっとしておいてあげたい」
現在地の対角を指す。そこには、嬉しそうに笑うニコと、少しだけ、本当に少しだけ満更でもなさそうな表情を浮かべるモリヒトがいた。
せっかく四人で来たのだから、もちろん全員で遊んだら楽しいと思う。ニコだって、太陽のような明るい表情で笑うに決まっている。むしろ、はぐれたことで心配するかもしれない。
「そうね」
それでも、全身で好きだと表すニコの笑顔が眩しくて、水を差すことが出来なかった。
きっと、半分くらいはこうなることを期待していただろう、と結論付けて、ケイゴを見る。
(えっ!?待って、でもそうするとケイゴ君と二人きりになるってこと!?)
促されるまま、柵沿いに進んできてしまった。出入り口は遠く、一人では戻れそうにない。
助けてニコ。いや、ダメよ二人の邪魔をしちゃダメ。葛藤が頭の中をぐるぐると周り、出来ることなら猫になって逃げ出してしまいたかった。
「ネムちゃん、結構上達早いね」
「えっ?そう?」
「うん。真っ直ぐ立つだけなら、もう手を離しても大丈夫じゃないかな」
考えごとをしていたせいで気付かなかったが、そういえば氷の上でも足が勝手に滑っていかないような気がする。
「でも……怖い」
「転びそうになったら支えるから。氷の上を滑るって、結構楽しいよ」
そんな風に笑うのは、心臓がいくつあっても足りないからやめて欲しい。
「じゃあ、まずは……はい」
ネムと向き合い、両手を差し出す。ケイゴが後ろ向きに滑り、引っ張るということらしい。
多分、おそらく、ニコがモリヒトとやりたかったのはこういうことなのだろう、と思った。ニコはモリヒトのことが大好きだし、願ってもないシチュエーションだろう。
「わっ、勝手に進んでく……」
「そうなるように引っ張ってるからね。どう?」
「少し……楽しいかも」
指先なら鼓動は伝わらないだろうか。いや、今なら滑ることが楽しい、と誤魔化せるかもしれない。
歩くスピードと大差ない速度で、ケイゴが氷の上を滑り、それに引っ張られる形で進む。
「手、離してみる?」
「待って、まだダメよ、転んじゃう」
「もう大丈夫だと思うけどなぁ」
転んだら、という不安半分、繋いだ手を離したくない、という気持ち半分だ。
「あーっ!二人に追いついたのよ!」
「随分ゆっくりしてるな」
後ろから元気な声が掛かる。そう広くないリンクだから、先に滑っていたニコたちが追い付いた。
「もう滑れるようになったんだ」
「うん、モイちゃん、初めてとは思えないくらい教え方が上手だったのよ」
「モリヒトなら、まぁそうだよな」
「あんまり調子に乗ると転ぶぞ、ニコ」
ケイゴの手から手すりに指先を移し、そこで立ち止まる。助かった、と思った。このまま二人でいたら心臓がもたない。
「ネムちゃんはどう?」
「ま……まぁまぁかしら?」
本当はまだ全然滑れない。赤ちゃんで言えばつたい歩きだ。意地を張ったわけではないが、その瞬間に口から出てしまったのだから仕方ない。
「いやぁ、久し振りに滑ったけど、やっぱり楽しいね」
すい、と氷の上で円を描く。欲目かもしれないが、ここに来ている誰よりも上手に滑るな、と思った。
「ねえケイゴくん、なんかバーンとすごいことやってみて!」
「バーンと、って……」
「無茶言うなよニコ。ケイゴにはブランクがあるだろ」
「そうだよ。体もだいぶ硬くなってるし、あ、」
ケイゴが右の中指を見る。そこには、ニコが魔法を封じ込めた指輪が嵌まっている。
「……お前今ろくでもないこと考えてるだろ」
「ニコがバーンと、って言うからさ。コレ使えばちょっと面白いこと出来るかなって」
「不用意に魔法を使おうとするな」
「え〜、でも、ちょっとだけなら良いと思うのよ?ねっ、ネムちゃん」
「えっ!?私!?」
突然ニコに話しかけられ、ビクッと背筋が伸びた。
「……うん」
ケイゴは格好良い。不用意に魔法を使うのは良くないと思う。しかし、魔女の不文律と、ケイゴの姿とを秤に掛ければ、残念ながら恋心が勝つ。
「ケイゴくんの、ちょっとイイトコみてみたい♪」
「コラそんな飲み会みたいなことを言うな。だいたい、一気飲みは急性アルコール中毒とリスクが……」
「そもそも未成年だからアルコールはダメでしょ」
「まぁ一回だけだから」
ぱちん、と指を鳴らす。いつの間に、とニコとモリヒトは驚いていたが、ネムは少しも驚かなかった。
「見ててよ」
助走をつけ、人をかいくぐってスピードを出す。周回コースの中心は、ジャンプの練習をしているスケーターたちが数人いるだけで空いている。
「わー……」
一回、二回、三回……。テレビで観るオリンピック選手より高く飛び、くるくると回った。
「イテテ……やっぱ着地は無理か」
飛びすぎたせいか回りすぎたせいか、バランスを崩し尻餅をつく。しかし、すぐに立ち上がり、ニコたちのところへ戻る。
「すごいのよ!クルクルくるくる回ってどうなることかと思ったわ!」
「成功してたらもっと格好良かったんだけどね」
「ううん、さすが元アスリートって感じだったわ!ね、ネムちゃん!」
「え、ええ……そうね」
格好良い、すごい、最高。手放しで褒めたい気持ちと、ケイゴ君が格好良いのを知っているのは自分だけでよかったのに、という気持ちがせめぎ合って複雑だ。
突然リンクの中央に滑って行ったケイゴが、着地に失敗したものの、世界大会ですら誰も成し遂げたことがない回転を飛んでしまったせいで、にわかにざわつき始めた。
「言わんこっちゃない」
ほら見たことか、とモリヒトが溜め息を吐き、リンクを上がる。
「やー、テンション上がっちゃって、つい」
ケイゴを見る人が増えてきたのもあり、一度休憩することになり、モリヒトに続き、ニコとネムもリンクから出た。
自動販売機で買ったカップのココアを飲みながら、視線を周りに向ける。ちらちらと、通りすがりにケイゴのことを見るのが面白くない。
「次は誰がいちばん早く滑れるか競争しましょ!」
「それだとよっぽどハンデつけないと面白くないよ」
「そもそも人が増えてきたから危ないだろ」
一つ屋根の下で暮らしているせいか、息の合った三人に置き去りにされた気持ちになる。
(なんだろう……)
楽しい筈なのに胸が苦しい。さっきまであんなに煩かった鼓動もすっかり落ち着き、今度は締め付けられるような痛みに変わった。
「わ、私は……まだあんまり上手く滑れないから見てるわ」
最悪だ。みんなで楽しもうという空気を、自ら壊していっている。
「そう?ネムちゃんも滑れてたのに」
「それに少し疲れちゃって」
それなら仕方ないね、と、残念そうにニコが唇を尖らせた。ちくり、と胸が痛む。
「じゃあニコたちはもう少し滑ってくるのよ」
「ええ、気にしないで」
無理強いはしない、という気遣うニコの視線に負い目を感じながら、カップの底に残ったココアを啜る。甘ったるくて、苦い。
(私ったら最低だわ)
深く溜め息を吐いた。自分の感情も上手くコントロール出来ないくせに、理解って貰おうだなんて虫が良すぎる。
「えっごめん、オレなんかした?」
「ひゃあっ!?」
突然聞こえたケイゴの声に、驚いて顔を上げた。隣にはニコたちと滑りに行った筈のケイゴが座っていて、目を丸くするネムに首を傾げる。どうやら心の声が漏れていたようだ。
「ううん、なんでもない、なんでもないわ!」
「それならいいんだけど、途中から元気なくなってたよね?」
「それは……」
まさか、気付かれていたなんて。感情を表に出してしまうなんて宮尾家の魔女失格だ。
自分自身が不甲斐なくて、空になった紙カップを持ったまま俯いた。肩が揺れる。
(どうしよう、この気持ち)
ケイゴだけが、ネムの気持ちに気付いてくれた。それが嬉しくて、カップを持つ手が震える。
もともと、互いに会話が続けられるタイプではないが、ケイゴは何も言わない。はからずも二人になってしまった嬉しさと緊張に、言いたいことも見つからない。
(でも、このままじゃダメよね……)
好きな人にはちゃんと自分を見て欲しいのだ。全部をさらけ出す勇気はまだ持てないが、ほんの少しだけ、どう思っているかを知って欲しい。
場の雰囲気を悪くしたことも詫びて、ニコたちと合流しよう、そう思い口を開いた。
「その……ケイゴくんが、色んな人に注目されて、もちろんそれは良いことだと思うんだけど、」
ごにょごにょと言い淀む。何を言おうとしているんだろう、とと思い止まってしまった。紙カップが、くしゃ、とへこむ。
「スケート好きなんだなぁ、とか、ニコたちと仲良しだなぁ、とか、そんなこと思ってたら、私アナタのこと何も知らないって、急に落ち込んじゃって……」
こんなことを言っても困らせるだけだ。わかっているのに、一度吐き出してしまった台詞は止まらない。
(って、私ったら何言ってるのよ!)
ひとしきり吐き出して、すっきりすれば急に恥ずかしくなる。
(ほらケイゴくんだって黙っちゃったじゃない)
紙カップの先の地面に向けていた顔を上げる。
「よぉ。お熱いこった」
「ウルフ!?なんで!?」
思わず立ち上がり、後ずさった。周りを見ても三日月のものはない。
ウルフがネムの手元を指差した。
「えっ……?」
指に誘導され、視線を落とす。力が入った拍子に潰したカップが、ちょうど三日月の形になっていた。
「ちょっと、こんなのでも変身するの!?いつから!?」
「いや、ほんとついさっきだぜ。ケイゴくんがーってメソメソしてるあたりか?」
「ほぼ最初からじゃないの!?」
「どーせ言ってから恥ずかしくて後悔してんだろ。オレで良かったじゃねぇか」
ウルフがにやにやと笑う。ケイゴに聞かれたいわけではないが、ウルフにだって知られたくない。
「どうする?伝言してやってもいいぜ?」
「そういうのいいから!」
ウルフの言葉に、頬を真っ赤に染め、ぱくぱくと口を動かす。完全に揶揄われているとわかっているのに、ついむきになって反論してしまう。
「まー、せっかく変身したことだし、ちょっくら遊んでくるわ。なんだこれ脱ぎにきぃな」
ぶつぶつと文句を言いながら、靴紐をほどく。裸足になったところで靴はどうするんだ、と思ったが、ネムが何かを発する前にウルフの姿が遠くなった。
「なんなの……」
狼のくせに、猫のような気まぐれさに溜め息を吐く。
手元に残った潰れた紙カップに首を傾げ、重たい感情と一緒にゴミ箱へ捨てた。
「まぁ、いっか……」
ニコとモリヒトはまだリンクで遊んでいるだろうか。二人の邪魔をするのも申し訳ないな、と思うが、まずは心配かけたことを詫び、ウルフの件も伝えた方がいいだろう。
(別に、後悔なんてしないんだから)
いずれ、誰に聞かれても恥ずかしくないような気持ちになる予定だ。
☆
「いたた……」
どうしてこんなことに。それが声になることはなかった。
律儀にウルフとの約束を守り、ニコたちの住む家を訪問して、少し話したらさりげなく三日月を見せる予定だったのに。
「ああ、悪かったな。大丈夫か」
前を見ていなかったわけではない。ネムがドアを開けようとしたのが先か、勝手にドアが開いたのが先か、それも最早わからない。ドアノブを持ったままバランスを崩し、転ぶ、と思った次の瞬間にはウルフの胸の中にいた。
「だっ……大丈夫よ。なんでアナタが」
逞しい胸板に体を預けてしまったことを恥じらいつつ、それを誤魔化すように腕を払う。
「なんだ、アイツじゃなくてがっかりしたか」
ぎく、と背中が跳ねた。そんなことまで見透かされているなんて。
にやりと笑うウルフを睨みつけ、違う、と嘘を吐いた。
「中には入らない方がいいぜ」
「なんで?」
「モリヒトがわけわからんことをずっと喋ってる。今行ったら一からやり直しになるだろうし、大して面白くねぇぞ」
「そういうものなの……?」
「テレビ点けっぱで三日月製薬提供の番組が始まったことも忘れてるくらいにはな」
それで、と息を吐く。乙木ハウスの面々がどんな反応をしているのか気になる。用は済んでしまったことだし、猫の姿になって遊びに行こうかと思った。幸い、ウルフ以外はネムの訪問に気付いていない。
「お前、どうせ暇だろ?ちょっと付き合え」
「つ、付き合うってどこに?」
「コンビニ」
「コンビニ?」
首を傾げると、ウルフが小脇に抱えた小さな段ボールを見せた。フリマアプリの何かだろうか、そういうのをよく利用する、とケイゴから聞いたことがある。
「まぁそれくらいならいいけど……」
ウルフがここにいるなら、特に用事はないなと思った。用もないのに遊びに来ました、なんて陰キャットにはハードルが高い。
ならば、ウルフに付き合いがてら帰ろうと思った。
「じゃあ来いよ。アイスくらい買ってやる」
「それってケイゴ君のお金でしょ。別にいらないわ」
「あいつの金はオレの金だ」
同一人物だから、その通りなのかもしれないが、いまいち釈然としない。
ドアを閉め、並んで道を歩く。言われるがまま付いてきたが、取り立てて会話もない。
ちら、とウルフを見る。ネムが出会った誰よりも背が高くいな、と肩の位置を見て思った。ケイゴはウルフよりも背が低くて、全体的に線も細い。それでも、しっかりと男の子だからドキドキしてしまうのだ。
「なんだ、そんなジロジロ見て」
「みっ、見てないわよ!」
にやりと笑うウルフに話しかけられ、慌てて顔を逸らす。脇に抱えた段ボールが似合わない。
「……それ、なんなの」
そういえば、と思い口を開く。ケイゴが荷物を送るならわかるが、何故ウルフが、と思った。ちまちまと不用品を売るとは考えにくい。
「ちょっとこれ見てみろ」
ポケットからスマートフォンを取り出し、ネムに渡す。それを受け取り、その場で立ち止まる。ウルフが見せたのは、何かの通販ページだった。
「何これ……?」
目を細め、ちかちかと見辛い商品ページを、スクロールする。商品効果といい、値段といい、全てが胡散臭い。
「なんかの通販詐欺?」
思ったことを素直に聞いたら、ウルフが声を上げて笑った。
「な、なによ……」
「普通そう思うよなぁ」
「だってこれ明らかにおかしいじゃない」
ここ、と画面を指さす。こんな詐欺まがいの商品に騙される人がいるのか。
「で、これがどうしたの?」
詐欺とウルフは結びつかない。突然こんなものを見せてきた意図がわからず、スマートフォンを返しながら聞いた。
「いや、別に」
相変わらず、ウルフは楽しそうに笑ったままだ。
スマートフォンをポケットにしまい、ネムの頭をぽんぽんと撫でる。そんなことでドキッとしてしまうのが悔しい。
「お前はそのままでいろよ」
「なんのこと……?」
「世の中には、詐欺まがいな通販に引っかかる、ちょろいヤツもいるってことだ」
余裕ぶった笑みがなんとなく気に入らなくて、口を尖らせる。
「コンビニ、着いたわよ。アイス奢ってくれるんでしょ」
「さっきまでいらねぇって言ってたくせに」
「暑くて気が変わったの」
「取らねえから安心しろよ」
「当たり前よ、アイスが食べたいなら自分で買いなさい」
話をすり替えられていることに、ネムは気付かない。店内をふらっとする猫を横目に、堪えきれない笑みを噛み殺した。
「どっちもちょろいんだよな」
☆
「断じて、そんなつもりじゃないから……」
心の中で呟いた筈の言葉は、思いの外大きな声になって口から出ていた。
十二月五日。今日もまた、乙木家のインターホンを押せずにいる。
(だいたい、今日が誕生日だって、ニコにも言ってないのに誰も知るはずないじゃない)
インターホンに指を伸ばし、押しかけて、戻す。この作業をかれこれ五分は繰り返していた。
ふう、と大きく息を吐く。近くに来たから遊びに来たの。脳内で何度も繰り返した台詞は、妄想の中でなら完璧だ。
(猫になって、サッと三日月見せれば……)
ネムは、未だウルフとの約束を律儀に守っている。
(あっ、連絡すればいいのよ!)
約束は失敗して履行されないことの方が多い。不可抗力で成功した時も、あらかじめニコと連絡を取っていたことを思い出す。
相変わらず乙木家の門前で、ポシェットに入れたスマートフォンを取り出した。基本的に、何の通知もない。
「えっと……」
「おう、どうした」
「きゃあっ⁉︎」
手元の小さな画面に気を取られていたせいで、ドアが開いたことに気付かなかった。
「随分な挨拶だなオイ」
「ご、ごめんなさい、急に出てくるとは思わなくて……」
はずみで落としたスマートフォンを拾う。画面が割れていなくてよかった、と息を吐く。汚れを払い、ポシェットにしまい、ウルフを見る。
「アナタが変身してるってことは、私は用無しね」
つん、と気取るようにウルフに向かって言った。
「慌ててスマホ落としてた奴がよくそんな態度取れるな」
「ちょっとびっくりしただけじゃない」
長い髪の毛の裾を指先でくるりと回し、唇をとがらせる。今ここで、ケイゴがウルフに変身しているのなら、ネムの出番はない。
「それじゃーーー」
帰ろうと踵を返した矢先、ウルフに腕を掴まれた。どき、と一瞬鼓動が跳ねた理由はわからない。
「な、なによ……」
ネムの細い腕を掴み、門扉に手を掛けたウルフを見上げる。一段高くなっているせいで、身長差は更に広がっていた。
道路に向いた体を、ウルフの方に戻す。真っ直ぐに異性と向き合うのは、慣れたウルフであっても少し緊張した。
手が解かれる。ウルフから離れたこぶしをきゅっと握った。ウルフはまだ何も言わない。
「これでいいか」
斜め上を見上げ、何かを考えていたウルフが、ジャケットのポケットから小さなカプセルを取り出す。ケイゴの忘れ物だ。
「ちょっと手ぇ出せ」
「えっ、なに、なんなの」
言われるがまま、両手を差し出した。ネムの手のひらの上に、未開封のカプセルトイが転がる。
「ガチャポン……?」
プラスチックの球体と、ウルフの顔を見比べ、首を傾げた。
「やる」
「……なんで?」
カプセルから透けるキャラクターに見覚えがある。人気アニメのマスコットキャラクターだ。アニメ自体はよく知らないが、黒い猫が変身した自分に似ているな、と思っていた。
「だってお前、今日誕生日だろ?」
「ちょっ……!なんで知ってるの⁉︎」
「コレだよ」
デニムのポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開く。アプリ内のホーム画面をネムに見せた。
「こんな機能があるの……」
誕生日のフレンド、とネムの名前が表示される。あまり使うことがないから、アプリをインストールした時に入力した情報がこのように表示されるとは知らなかった。
「ま、他に誰も気付いてなさそうだけどな」
では何故、ウルフは知っているのだろう。
「つーことで、もらっとけ」
疑問をそのまま口にしたが、カプセルトイを理由に濁されてしまった。
「ありがとう……」
「オレのじゃないけどな」
「それって貰っていいの?」
「いいだろ、オレのみたいなモンだし」
「どっちなのよ……」
「やるよ」
持ち主が掴めぬカプセルトイに、問答を繰り返す。
「ネムちゃん!」
ばたばた、と騒がしい足音と共に、ニコが玄関まで走ってきた。やましいことは何もない筈なのに、びく、と肩を揺らし、カプセルを手のひらに隠す。
「も〜今日が誕生日なら教えてよ〜!遊びに来るなら先に教えて欲しかったのよ〜!」
「え、いや、たまたま近くを通りがかったから……」
裸足のまま玄関を乗り越え、ネムに抱きつく。きゃあきゃあとテンション高く囃したてるニコをあやしながら、ちらりとウルフを見た。
「あっ!」
にや、と笑い、ネムにスマートフォンを見せる。どうやら、今日がネムの誕生日だとニコに教えたらしい。
「せっかくだから上がって!何もないけどお祝いしよ!モイちゃんがクッキー焼いてるから!」
「本当にクッキーとか焼くの……」
「えっ?何か言った?」
「う、ううん、なんでも」
ぐい、とニコに手を引かれ、そのまま玄関をくぐる。ウルフはもういなかった。
☆
ガタン、と大きな音がした。ダイニングで遅めの昼食を摂っていた面々が、一斉にリビングを振り返る。
モリヒトがニコのコップを落としてしまったようだ。ガラスだったら割れていたかもしれないが、幼児用のプラスチックコップだったおかげで難を逃れた。
それを見たニコが、テーブルの上に倒れたコップを元に戻し、口を尖らせる。
「駄目よモイちゃん気を付けないと」
「ああ、悪い……。ニコ、今なんて言った?」
ダイニングで行末を見守っていたカンシ、ケイゴ、ミハルは三人揃って顔を見合わせた。ニコの隣にいたバンですら、酔いが覚めた顔で二人を見つめている。
「今日はキスの日なのよ!」
ごくり、とその場にいた全員が息を飲んだ。
「誰やニコにいらんこと吹き込んだの」
「え?オレじゃないよ」
「ボクも今初めて知りました」
ザッ、と全員の視線がバンに向く。自分の目線の上を行く視線をたどるようにして、ニコもバンを見た。
「い、いや……ウチじゃない……し……」
「本当か?」
ぎろ、と睨み付けるように、モリヒトがバンに向かって低い声を出す。
「すみませんでした」
モリヒトの眼光に観念したのか、バンが体を小さく丸めて座り直す。
「今日は好きな人にキスする日なのよ!」
き、とバンを睨んだ。あまりにも小さく肩を丸めるものだから、そのままドラゴンの姿になってしまうのかと、誰もが思った。
例えば、眠り姫は王子様のキスで目覚める。ニコが読む絵本、観る映画、それらに王子様とお姫様というのは頻出するもので、ハッピーエンドと幸せなキスはつきものだ。
「両思いだから問題ないんじゃないの?」
「アホか、問題だらけや」
「モリヒトさんはニコさんが好きだし、ニコさんもモリヒトさんが好きだけど、今の姿でやったら倫理的にアウトですよね」
「ほっぺくらいならセーフじゃない?」
「今令和ですよ?」
声のトーンを抑えていても、鬼の地獄耳には丸聞こえである。
モリヒトはふるふると肩を震わせ、ニコの正面に正座した。
「いいか、ニコ。そういうことは言ったらいけません」
「なんで?ニコはモイちゃんが好きだよ?」
ぐ、とモリヒトが唇を噛んだ。
「モリヒトが見たことない顔しとる」
「あれは効くなぁ」
「いっそこのままでも良い気がしてきますね」
「お前ら聞こえてるからな」
☆
「すごい天気だな」
ラブカが生徒会に入ってしばらく、学年もクラスも同じということで、一緒に行動することが増えた。
夏服が冬服に変わり、日が落ちるのも早くなった。部活動の下校時間は繰り上げられ、今は校内に残っている生徒も少ない。
「もうすぐ落ち着くんじゃないか」
「ならいいけど」
真っ暗な空は時折大きな音を鳴らし、雷を落とす。今下校するのは危険だと判断した生徒会が、校内に残っている生徒に対して待機を呼び掛ける。
実際にどれくらいの生徒が残っているのか、という把握をするため、生徒会員が分かれて校内を見回っていた。
「さすがにこんなとこ誰もいないだろ」
「今日は映画研究部の活動日じゃなかったか」
「なんだよその部活……」
しっかりと暗幕がかかった視聴覚室の電気を点ける。
元より人の気配はなかったが、改めて確認しても、誰もいない。
「たまに机の下に人が隠れてるから、一応確認してくれ」
「マジでなんの部活なんだよそれ」
「オカルト研究部もここを使ってるからな」
はぁ、と気のない返事をして、視聴覚室の中に入った。やはり、ここに人がいるとは思えない。
大荒れの天気で外は暗く、更に暗幕がかかった室内は照明を点けても薄暗かった。
力の発動を恐れた親に目隠しをされた生活を強いられていた時もあり、ラブカは少しだけ暗闇が苦手だ。
「誰もいねぇよ」
「じゃあ次行くか」
足早に一番後ろの席まで確認して、入り口に戻る。風で閉まったドアを開け、電気を消そうとしたところで、一際大きな音がした。
「きゃっ」
「停電か⁉︎」
薄暗いながらも室内を照らしていた光が消える。思えば、雷の音はかなり近かった。
「すぐ非常電源に切り替わるだろ」
ぽつり、とジキルが呟く。学校のような公共性が高い施設なら、非常時に備えられているはずだ。もともと視力は良くないが、真っ暗だと何も見えない。手探りでドアを探す。引き戸の扉は、なかなか引き手が見つからない。
「ジキル、どこだ」
「ここにいるが……うぉっ」
腰のあたりに、あたたかいものを感じた。暗闇への恐怖を紛らわせるために、ラブカがジキルに抱きついたらしい。
一瞬でそのことは理解したが、思考が追いつくかは別問題だ。
「お、おい……」
「いまだけ」
ラブカの声が震えている。そんな弱々しい声は、涙が混じった災いの日以降、初めて聞いた。
突然同じ年頃の女子に抱きつかれ、健全な男子高校生であるジキルも狼狽したが、ラブカの恐怖を思えば突き放すわけにもいかない。
(まずいな……)
ジキルは健全な男子高校生である。思春期だ。人並に女子へ対する興味はあるし、意思とは関係なくドキッとすることもある。抱きつかれた勢いでずれた眼鏡も、直せずにいた。
腰に巻き付くラブカの腕は、カーディガンを纏っていても細い。背中に当たる上半身は柔らかく、良い香りがする。確かにフランとの距離も同じように近いが、あちらは精巧なロボットだ。もちろん、フランにも思うことはあるが、付き合いの長さと付き合い方が違う。
ふと下を向いた。真っ暗な中で何も見えなかったが、ベルトより上のウエストにラブカの細い腕がある。
(このままじゃまずい)
どくどくと煩い心臓は、雷の音に誤魔化せた。
ぎゅ、と背中を温める柔らかな感触に湧き上がる衝動が生まれ持った破壊衝動だけではないから、困る。
「ラブ……」
「あ、電気ついた」
非常電源に切り替わったのか単に停電が復旧したのかは知るよしもないが、電気が点いた。なにごともなかったかのようにラブカが離れる。
急に明るくなった視界に目を細め、入り口の引き手を探す。簡単に見つかった引き戸を開け、視聴覚室の外に出る。廊下も蛍光灯が点き、暗幕の世界より明るかった。
「そういや今なんか言おうとしたか?」
すっかり普段の調子を取り戻したラブカが、無言で俯くジキルを見上げる。
「いや、別に。天気も良くなってきたな」
「あ、ほんとだ」
眼鏡の位置を直し、話題を逸らす。あの瞬間、何を言おうとしたのか、今となっては思い出せないし、思い出したくもない。
