ハイスピードゴリラの悩み

湿ってるので読まなくていいです

自分の所在地が常に曖昧なので、認識されていないのなら存在しないのと同じだ、という思考で元気に、時にネガティブに生きてるんですが。
SNSにおける自分の存在価値ってなんだろうと考えた結果、そこそこのスピードで何かしらの何かを提出していることに尽きると思うんですね。
書きたいから、思いついたから書かずにはいられない気持ちが強く、写経のように瞑想のように書いていたらスピードが早いことに気付いてしまったモンスターだよ。
これは私の生活リズムによるもので、同じ生活をしていたらこれくらい出来るだろうけど、世の中は他にもっとやるべきことが沢山あるからやらないだけと思っているわけですが。
なんか生活リズムが一般的ではないことに若干の負い目があり、かつ業務内容も社会に必要なわけでもなく、世間が労働している時間帯が自由時間だということに罪悪感を抱いている。

さておき。

ならば有り余る時間をほぼ全て二次創作に費やすという、健康なのか不健康なのか全くわからない日々を過ごしているのですが。
そうするとめちゃくちゃ色々なことが出来る。
そして書いたから上げようということで毒にも薬にもならないものを量産している。

で、ふとした瞬間に「まともな社会生活を送れていない自分は何をやっているんだろう」という気持ちになるじゃないですか。今なんですけど。
SNSってやらなくてもいいことだし、それだけでストレスが溜まる害悪だなというのはここ数年痛感していて、最たる理由の中に「ここに居ていい理由」というのを求めてしまう、というのがある。
私がここに居ていい理由っていうのはやっぱりひとつしかなくて、そこそこのスピードで小説を上げていることに尽きるんですが、それ以外に存在価値を見つけられない。
好きに好きなことを適当に言って真剣になりすぎず軽い情報収集くらいでいればいいじゃんって話なんだけど、フォローしてフォローされて、何もせず虚無に生きてるだけの私をわざわざ見ることに何の意味が……?ってなるじゃないですか。
だって何も生み出さない私に何の価値もない。
いや、生み出してるものがアレだから作者からすれば害悪だよ。

基本的にいいねやリプが全然出来ないインターネット人見知りなんですが、私みたいな触れたら噛みつきそうなアカウントが迂闊に声掛けたらアカンやろ、という自制と、本当に何を話していいのかわからないから黙っているという人見知りが同居している。
安全な場所から檻の中を見ていたのに、檻の中の珍獣がいきなり隣に立ってたら怖いだろう。

別にスランプというわけではないんですが、去年結構勢いよく活動していた反動で今年はゆっくりしようと思っていたら、「何も生み出さない自分」という無価値さに急に怖くなって、今。
かといって今は本誌の展開を見守るターンでもあるし、イベントも控えている中での一種の燃え尽き症候群みたいになっている。
だから余計に己の無価値さを自覚していまい、情緒不安定。

そもそも、好みの幅がものすごく狭い重度の偏食なので人と足並みを揃えることが無理だし、そうやって違いを自覚するたびに自身の狭量さに嫌気がさす。
世の中多様性だのなんだの、人と違うことを認めましょうっていう風潮が広がり、それはとても良いことだと思うけれど、こういう自罰的な考え方を改めるには至らないのよね。

多分共感という行為が苦手なんだろうな、というより、他者に対する興味が圧倒的に足りない。
歌うように軽やかに行われているやり取りも、私には出来ない。
仮に、頑張って話し掛けることは出来たとしても、話し掛けられたり何かしらのレスポンスがあると「どうしてこんな私に?」という気持ちが先行してしまって何も言えなくなる。
驚くほど人見知りだなぁ、と思いながら、今日も楽しそうに流れていくタイムラインを羨ましく眺めている。
そういう流れを構成する一員になれないまま、ここまで来てしまった。
きっと明日も明後日も、似たような思いを抱えながら、なぐさみに縦式を開いているに違いない。

とはいえ自分で書くものは大好きだし、毎日のように読み返しているし、常に何を書こうかと考えている。
考える葦とはよくいったものだけど、思考のうるささはどうにかして欲しい。
多分私に必要なのは思考を手放すこと。

現代社会って難しいね。